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念願の赤川次郎のデビュー作「幽霊列車」を入手し、読み終えるに至ったので、その感想やらをつらつら書いていこうと思う。
まだ書いていないからどうなるか分からないが、ネタバレがあるかもしれないので、注意をあらかじめしておくことにする。
そして予防線として言っておくと、これはあくまで徒然草であって、本格的な書評・レビューではない。
あしからず。

さて、本題

こういうことをいうのは我ながらどうかと思うのだが、手にとってパラパラとめくり最初にもった印象は
「赤川作品にしては字が詰まっているなー」
というものだった(失礼を言って申し訳ありません)。

というのも赤川作品は割り合い、会話が多く(少なくともそういった印象を抱く)、描写も大雑把というか読者に想像させる書き方が多く(私にとってそれは嬉しい作風である)、軽快な書き方を私の中の赤川作品像として勝手にもっていたので、この「字が詰まっている」というのは多少の驚きがあった。

しかし読んでみると、なるほど。
軽快であり、字が詰まっているのはあくまで「たまたま」でしかないのだ、と思うことになった。思えば、「三毛猫ホームズ」シリーズだって似たような感じである。

まあ、それはいい。

そもそも、私はこの「幽霊列車」という作品は長編だとばかり思っていた。
だから、まだページ数もそこそこで事件が解決しようとしているのに気がついて
「おっとこれはどういうことだい?」
といささか不安に思ったが、事件はそのまま見事に解決。
面白いことには面白かったが、私としては
「ぬああ」
というまさかの
「短編だったのかよー」
というショックが、いや驚きがあった。

しかし、面白かったのは事実だ。

私が初めて読んだ赤川次郎の小説は「探偵物語」であるのだが、この作品を含め、なぜだか赤川作品は活発な若い女の子と中年の男というコンビが多いように思う。
たぶん、赤川作品をよく読む人はみんな思っている。

まあ、それは面白くて、会話も可笑しみがあって好きなのだが、どうにもそれが恋愛に発展していくというのに、個人的に違和感がある。
「赤川作品に限ってはそんなところのリアリティなんかどうでもいいわ」
と私は開き直って読んでいるが、他の人はどう思っているのだろうか。

そしてあとがきに驚かされた。
この表題作「幽霊列車」という短編、原稿用紙で93枚だそうだが、わずか10日で一気に書いてしまっているのだ。
締め切りがあって(けっこういろんな賞に応募活動をしていたらしい)、その日までに間に合うよう、謎だけ掲げてどうやって解決するかは後回しにとりあえず書き進めたというのだ。

まあ、そのこと自体は私にも経験があるから分かる。
文芸コンクールに応募したある作品も大雑把に話の設定と展開をイメージして書きはじめた。
結果、入選はした。私のほかに10人くらいいたけど。

あと、ある短編の賞に応募した作品もそうだ。
特にプロットも作らずに、締め切りが明日というんで、一晩で泥棒の話を書いた。
それが結局、最後の11人にまで残ったのだ。

一方でプロットも作って、めちゃくちゃ気合を入れて、時間をかけて書いた小説があった。
「これはいいぞー」
と気分もよかった。
しかし、てんでダメだった。
かすりもしなかったのだ。
なんとも皮肉な話である。

おっと話が逸れてしまった。
「幽霊列車」は短編集になっている。
その中に「善人村の村祭」という話があるのだが、これを読んでから(正確には読みながら)、映画の「ウィッカーマン」を思い出した。
「ウィッカーマン」はもともとヨーロッパの映画で、わりと最近にニコラス・ケイジ主演でリメイクした映画だ。
宗教的な話で、まあ、あんまり見ていて気持ちのよくない映画だった(あくまで個人的に)。

まあ、あそこまで不気味ではなかったけれど、この話もなかなか。
この手のお話は、少し苦手でもある。

まあ、この辺で今回の感想は終わりたいと思う。
ともかくこの「幽霊」シリーズはとっても面白い、ということが分かったから、次は「幽霊候補生」を探そうかな、などと今は考えている。

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