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2011.08.13 墓掃除
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 墓掃除へ行った。
 毎年のことである。お盆前の定番行事であった。墓参りよりも大事な儀式であるのかもしれない。私はそこまで熱心な信仰者という訳ではないが、それでもやはり墓掃除には厳格なものを感じる。
 例年、墓掃除は私と父の二人で行っていたが、ここ何年かは父の仕事の都合で、私と祖母、加えて母という編成が増えていた。今年もそのようになった。
 楽しい作業とは云えないかも知れないが、かと云ってつまらぬ作業でもないのが、掃除というものの不思議である。道具を使い、汚れを落としていく作業は確かに大変な労働であるが、同時にそのことに熱中し、達成感のようなものも得る。
 私は何年か前に没した曽祖父のことを思い出した。仏壇や墓の前に立つと必ずその曽祖父を顔が頭に浮かぶのである。これからもきっとそうなるであろう、と薄々思っている。
 曽祖父は真面目な人であった。といっても私と曽祖父は時間の共有をそれほど行っていないために思い出は少ないが、人の話を聞く限りそうであった。
 生前、私は時折り曽祖父の家へ赴き、将棋を指した。普段、私は碁を打つ人間であったため、将棋の方は研究不足で滅法弱かったのだが、曽祖父は私が訪れると喜んで将棋を指した。いつか曽祖父を負かしてやろう、と私は思っていたのだが、ついにそれは叶わなかった。
 私と曽祖父が使っていたのは三寸ばかりある脚付きの立派な将棋盤である。駒の音の響きも無学な私でも何だか気の引き締まる格調高さを感じた。思えば、曽祖父は大変なコレクターであり、高そうな骨董品のようなものが家には幾つも置いてあった。恐らくは盤に関してもその手のものだったのだろう。没後、形見代わりに私はその将棋盤を譲り受けた。
 残念なことに曽祖父との思い出はその将棋の他にはない。今思えば、もっと様々な話を聴いておきたかった、というところだが、それはどうにも出来ぬ話である。
 曽祖父は私の中で不思議な存在になっていた。それは没後の話であるが、私にとっては大変に神聖な存在となったのだ。先にも述べたように私は特別宗教家ということのない人間である。曽祖父だけが例外的に神聖なのである。私の周りに曽祖父以外の死者がないわけではなかったが、曽祖父以外にそのような位置を占める人物はなかった。
 曽祖父の生き方について私の中には勝手なイメージがあった。それは確かな根拠があるわけでもないのだが、恐らくあの曽祖父ならばこういう場面ではこうするのではなかろうか、という漠然としたものが私の中にイメージとしてあったのだ。もちろん、前記のように私と曽祖父はそれほど交流が深かったわけではないので、おおよそ的外れであるかも知れない。然しそういうところで私は曽祖父を感じるようになった。
 と云ってもいつもいつでも曽祖父が私の胸の内にいるわけではない。時折り訪れるだけである。その典型的なのが墓掃除のときであった。墓掃除をしながら私は曽祖父を思い出し、今度久しぶりに将棋でも指そうかな、と独り思うのである。

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