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■「感動をシェアしたい」


 手が止まる。
 ついさっきまで関節なんて忘れたかのような滑らかさで指が動いたのに、急に動かなくなった。
 見なければ良かったと思う。気にしなければいいんだ、とも思う。でもどうしても気にしてしまう。

 僕はYouTubeに動画を投稿している。最近はじめたばかりで、まだひよっこだけれど、チャンネル登録者も何人かいて、僕の動画を観てくれる人もいる。動画自体はiPhoneのカメラで撮影して、そのままiPhoneで編集するカンタンなものでしかない。
 それでも僕自身、楽しんで動画を撮影して、投稿していた。
 
 僕は動画投稿とは別にブログも書いている。文章を書くことが昔から大好きで、中学生のころから小説を書きはじめた。
 ブログを書くのは文章を組み立てるのが楽しい、という理由とは別に、大切な理由がある。

「感動をシェアしたい」

 そう思いながら、僕は駅のホームや電車の中で記事を書く。



■自分自身を否定されているような


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 YouTubeはブログよりもたくさんの閲覧者がいるらしい。
 最近はテレビでも楽しめるようになってきているし、YouTubeはもはやテレビ番組といっても過言ではないとすら思う

 その分、観る人の層も幅広いものになってくる。中には僕の動画が趣味に合わない人もいる。たくさんいる。それ自体はしかたのないことで、考えたところでどうしてみようもない。

 ただやっぱり「低評価」は僕の心にグサッと突き刺さってくるのだ。自分自身を否定されているような気持ちになる。本当にそういうつもりで押されている場合もある。
 中には「高評価」をしてくれる人もいて、とても励まされるのだが、どうしても低評価の方を気にしてしまうのだ。気持ちが落ち込む。



■とてつもない励みになることを知っている


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 YouTubeに動画を投稿するようになってから、「いいな」と思う動画にはしっかり「グッド」するようになった。それが投稿した人にとって、とてつもないパワーを持った励みになることを知ったからだ。

 それに、これはもとからしていなかったけれど、「低評価」はまったく押さなくなった。自分と趣味の合わない人は必ずいるし、僕にとってその動画の趣旨が理解しかねるというだけで、投稿者の気持ちや努力を否定して、思い切り落ち込ませるのは、僕にはできなかった。
 「低評価」いかに気持ちを落ち込ませるのか、僕は知っている。

 この感覚はブログの活動にもフィードバックされるようになってきた。
 「いいな」と思った記事はTwitterにコメント付きで投稿する。反応があると嬉しいことを知っているからだ。ただ、これはエゴサーチでもしている人じゃないと、気がついてはくれない。だから活動としては地味な方だった。



■舞台裏で笑顔になれたら、素敵だ


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 最近、投稿者が嬉しくなるように動画にコメントする。投稿者が僕のコメントを読んで嬉しくなれば、なぜだか僕も嬉しい。僕も製作者サイドの人間だからかもしれない。

 舞台裏は思いの外、孤独で、地味で、ちょっと湿っぽい。
 その舞台裏で笑顔になれたら、何かこう、光が差し込んだみたいで素敵だ。

 もちろん、低評価には僕が反省すべき点があるから、という面もあるだろう。ただあまり閲覧者のいない僕の動画に、いつも投稿してからすぐに付く低評価には、何か違うものを感じてしまう。わざわざすべての動画をチェックしているのだろうか。

 感動と喜びをたくさんの人と。

 Witten by Takumi.Jinnai


jinnaitakumi - YouTube






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